仕事

私達が歩んできた道(すし決意編)

こんにちは、すしです。

この記事では、僕がオーストラリアへ行くことを決めた経緯、理由について書こうと思います。(前回のかな決意編はこちら

結論からいうと、オーストラリア行きを決めたのは、かなに誘ってもらったからで、英語を使えるようになって、より条件のよい会社(日本の)に転職するためでした。

タイタニック号から抜け出せない汗

かなから誘ってもらった当時、僕は社会人3年目、東京の新橋にあった老舗メーカーで販促、広告、展示会開催、オンラインショップ運営などの仕事をしていました。

その会社は歴史があり、とてもすばらしい技術を持っていました。ステキな製品を生み出していく過程に携われることに喜びや、やりがいを感じながら働いていました。しかし同時に、このままではいけない、変わらなくてはいけないという焦りのような思いが常にありました。

状況として業界全体が年々縮小し、会社も長年にわたる売上不振、人員整理、低いうえに上がらない給料(むしろカット)、長時間の残業。なのに仕事は終わらない!

当時の自分や上司の働き方、それに対する給料、右肩下がりの業界などを考えた時に、自分が将来的にこのまま会社に残ると、安い給料のため結婚はできても子供をもつのは金銭的に不可能に思えました。そもそも家に帰るのは遅いし、楽しい家庭を築くこと自体が難しく思えました。

そして自分が40代になるころには身体を壊すか精神的に参ってしまうのではないか。そして、その時には転職するには遅く、さらに悪条件の環境しか残されていないのでは。そんな漠然とした将来への絶望感があったのをよく覚えています。

例えるなら、沈んでいっている船から必死に水をかき出していて、船を直したいけど直せない、このままだと沈むのはわかっている。だけど他の人達をおいて自分だけ逃げ出すのもちょっと、、、そもそも自分は逃げられるようなボート(異業種に転職できるようなスキル)を持っていない泣。そんな苦しい状況でした。うう。

無理無理 →  うおー、ワーホリ最高かよ!!

全てが変わったのは2012年1月末。付き合って2年になっていたかなから「オーストラリアに一緒にいかない?」と誘われたことでした。

今でこそ人生の大きな大きなターニングポイントなのですが、実は聞いた時、あまりに今まで考えたこともないことだったのであっさりと断りました笑 

いやいや、今の仕事どうするのよ?辞められないって。そもそも英語話せないし、お金ないし。ワーキングホリデー?なにそれ?帰ってきて再就職できなかったらどうするのよ?無理だよー無理無理。。。

基本的になにに対してもネガティブな想像を働かせるのが得意なので、当然のリアクションでした。

しかし、せっかくかながやる気になっているので、留学エージェントの開催しているワーキングホリデー説明会だけは行ってみようということになりました。

あまり気乗りしないで2人で参加した説明会。

……なんとビックリ!説明会が終わったときにはすしのオーストラリア行きのモチベーションはMAXなのでした!笑 

うおー!ワーホリ最高だ!やるしかない!!

みっちり勉強できて、世界中からくる学生と友達になれて、現地の英語環境で働くこともできて、なおかつ旅行までできる?!

しかも帰ってくる時には英語スキルと就労経験までついてきて再就職にバッチリなんて。。こんなのアリ?ってくらい魅力的なチャンスに感じられました。

特に印象に残ったのが、留学したことでTOEIC990点(満点)取ったという人が来ていたことでした。スタッフの方のうまいトークもあり僕もあんな風になれるのでは!とイメージさせてもらったのでした。←のちにいかに自分が甘かったかを思い知るのですが、、、

この方向で頑張れば今の辛い状況を変えることができる!希望のもてる未来へ軌道修正していける!そう思えたことで、なんとあれだけ後ろ向きだった僕はオーストラリア行きを決意したのでした。

次は準備編1 行き先、エージェント、学校

ABOUT ME
すしかな夫婦
すし(夫)とかな(妻)の日本人夫婦。2013年、ワーキングホリデーで渡豪。学生を経て、2019年に夫婦で永住権を取得。愛犬ココとクイーンズランド州の田舎で生活中。
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